これ買いました平成19年3月

19.3.30 CDR1枚を頂く。グルーヴィーインスト。

19.3.20 金がないのに思わず買ってしまった・・・。東芝はベンチャーズのクリスマスアルバムをCCCDでなくて普通のCDで再発して欲しい。

ドン&ザ・グッドタイムス

ソー・グッド

CD ウルトラヴァイブ CDSOL7158

本来はガレージバンドだがジャックニッチェのせいで激甘ソフトロックグループとしてヒットを叩き出す羽目になった米国のバンドのアルバム+シングルその他の追加音源を収録したもの。

なるほど清新なコーラスワークが心地よいが、レターメンらのコーラスを主眼としてのし上がってきたグループとは一味違い、ルーツが「ガレージ」バンドという痕跡が見られ興味深い。ただし聞く限りでは激烈なガレージバンドというよりはもう少しポップス志向の丁寧さの先立つ演奏が身上のようであるので、少し帯の煽り文句は過剰かもしれず、「典型的な米ローカルロックグループが卓越したコーラスとジャックニッチェの魔法で珠玉のバブルガムポップ化」ぐらいが穏当か。

ビートルズの「サージェントペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」とほぼ同時期のリリースだが、驚くべきことにこちらのほうがより近代的な音をしている。これはプロデューサーの手柄だろう。

なんといってもこのグループ最大のヒットなった「アイ・クド・ビー・ソー・グッド・トゥ・ユー」が最も印象深く、丸みのあるハッピーポップとして素晴らしい完成度を誇る。なおこの曲はモノ、ステレオの両バージョンが収録されている。

レス・ポール&メリー・フォード

ギター・ウィザード

2CD プロパー PVCD107

ギターの神さま、レス・ポールとその随伴者メリーフォードの廉価ベスト盤。長閑なアレンジのものから急流のような速弾のものまで幅広いが、やはり気になるのは後者。特にインストではドリィミーなギターテクニックに思わず耳を傾けてしまう。もっとも「テネシーワルツ」などの伝統的な楽曲についてはメリー・フォードの安定した歌いっぷりにこれも古式ゆかしいアメリカの鄙ぶりを感じ、カントリーやフォークの魅力を改めて認識させるものがある。

 

19.3.17 流石に今日は買いすぎたと反省している。

ゾーズ・ダーン・アコーディオンズ!

ノー・ストリング・アタッチド

CD グローブ GLO017

アコーディオン6人とベース、ドラムという、しかもメンバーの年齢差も異常にある訳のわからない編成の名バンドの一枚。相変わらず演奏に妙なうねりがあってそこが抜けているけれども、ロック系よりもいかにも辻のアコーディオンバンドが演奏しているようなインスト曲やほのぼのとしたトラディショナル曲の方が趣深い。とりわけ爺さんがリードボーカルをとる曲が渋い。なお冒頭を飾る曲は日本の怪獣映画にオマージュを捧げたるか「モスラ」という。輸入盤のくせに綺麗な歌詞カードが付いていたのが珍しい。

ゾーズ・ダーン・アコーディオンズ

クラウンヘッド

CD グローブ GLO022

バンド名から「!」が落ちた。同傾向だがより普通の、近代的な曲が多くなってしまっているため今ひとつといったところ。上に言う味のあるリードボーカルが排除されているのが不思議といえば不思議。

ゾーズ・ダーン・アコーディオンズ

ラウンボール

CD グローブ GLO031

同上。初期のモンドっぷりが大分後退し、普通のロックバンド化してしまっていて残念。聞いていておっと思うものは「フランケンシュタイン」などのカバーもの。ただ聞いていてまずいと思うものではないので、まあ普通に聞く人にはこの方が聞きやすいのかもしれない。しかし、普通にギターが入っていたりするとどうもこのバンドに期待されていることがスポイルされているようなもので個人的にはコンセプトに疑問も感じる。

ゾーズ・ダーン・アコーディオンズ

アンペド

CD グローブ GLO803

同上。えらく人数が減っている。細かいことは知らないが、このバンドの場合脱退したんじゃなくて本当に亡くなってしまったのではないかとかいろいろと想像されてしまって生々しい。これもギターが入っていたりしてちょっとあれれという感じなのではあるが、上に比べるとモンドぶりが大分上がってきており、とりわけバンドテーマ的な「シリアス・ワールド」にはファーストアルバムでの妙なアホらしさが帰ってきており聞いて心が弾む。

ザ・レジェンドリィ・スターダスト・カウボーイ

パラライズド ヒズ・ヴィンテージ・レコーディングス 1968〜1981

CD エム EM1061CD

デヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」のモデルになった人の残した超絶の表題曲ほかほぼ全部の録音を網羅したベスト盤。

彼の名を一躍有名にした表題曲が何と言っても強烈で力強いが狂気をはらんだドラムにこれもまた狂気をはらんだ雄叫びが被さる怪曲で、ブックレットの「行ってしまった」肖像にも納得してしまうロカビリーの尻尾とも言うべきもの。B面に当たる「フーズ・ノッキング・オン・マイ・ドア?」も同趣向で、この時代、この場所でしかありえなかった強烈なレコードといってよかろう。そしてそれが当時から名を轟かせたということがこの時代のところが、懐の深いところ。

ところが、80年代に出た表題曲のセルフカバーを含むアルバムはその「行ってしまった」感が大分消えている。かの曲は60年代の強烈な磁場が地上にもたらした狂気と偶然による二度と作りえない至宝なのであろうか。

田畑貞一とグルーヴィー6

スマッシュ・イン・ザ・ロック

CD ディスクユニオン PROA87

ここからはしばらく70年代に活躍したジャズ系名ドラマーの残したオリジナルアルバムの復刻版が続きます。

所謂ロカビリーのヒット曲と成毛滋、柳田ヒロといった参加プレイヤー、そしてかまやつひろしの筆によるオリジナル曲を半分ずつ収録しているが、演奏陣がニューロックの人たちなのでとにかくニューロック臭がどぎついほど。特に成毛のギターが「成毛が弾いていること」を知っているということはあるかもしれないが、面白いほど典型的なニューロックのギターという音をしており、ニューロックの情趣がある。特にねばねばした感触のある成毛が作曲した「アンド・ライス」にはそれが著しい。クラブチューンして再評価された、というのも納得できる。但し、どの曲も中心プレイヤーはあくまでも田畑であるため、ニューロックにありがちな精彩に乏しい音には陥らず、寧ろ瑞々しさが感じられ、ジャズが遠のいていったニューロックは果たしてあれでよかったのか、とても考えさせられる内容。

石川晶とカウントバッファロー・ジャズ&ロック・バンド

バキシンバ アフリカの想い出

CD ディスクユニオン PROA82

これも。

アフリカへの傾倒ぶりを偲べる、アフリカを題材としたジャズロック盤。ミッキー吉野を迎え、通常のカウント・バッファローズよりもロックの要素が立ち、また素の石川晶が出た演奏と思われる。ミッキー吉野が作曲した曲も数曲あるが、総じて所謂アフリカの民俗音楽などの色はほぼ皆無であり、石川晶の中核を作るものがアフリカということを「一応」枕として発揮されたものといえるか。「ドラム○○ドラム」シリーズでは曲を断ち切るようなドラムソロも散見されるが、これは常にバンドの調和の中でのドラミングということを意識して叩いてあるように感じられる。

石川晶とカウント・バッファローズ

エレクトラム

CD シンク! THCD030

同。彼らの最高傑作と称されるアルバム。これを聞くと、やはり石川のドラムの真骨頂はグルーヴものなのではなく、もっとアーティスティックなものであったことが判る。プログレッシブ・ジャズ・ロックと帯にあるがややジャズの色が強いか。自分にはわからぬ。

猪俣猛とサウンド・リミテッド

リズム・メソード

CD Pヴァイン PCD7287

同。これは本来はタイトルが示すとおりドラムの教則用のアルバムであって、事実各曲のドラムスのスコアと一言メモがついている。ただ、その内容は単に8ビートなどを収録していたり声でドラム指導が入っていたりするのではなく、既存曲や書下ろしの曲などをがつんと12曲放り込んでサウンド・リミテッドが華麗な演奏で固め、単なる教則とは全く次元の違うサウンドを効かせる贅沢すぎる一品であろう。なお、「ドラムコンサート」と称するドラムソロの曲もあり、70年代初のドラマーがえらく重宝された時代に天下を取ったドラマーの一人である猪俣の力のみなぎるドラムの技量を堪能できる曲もあり、まあ舌を巻くばかり。

猪俣猛とサウンド・リミテッド

イノセント・カノン

CD キング KICS2534

キング・リジャズシリーズのカルト編だと。

一流ミュージシャンのほかナレーションが加納典明でいかにもこの時代の人らしい主張をする。取るに足らない、と自分は思ってしまうけれども、それでも写真家という芸術家と技術者の両面を持つ男が、素直に音楽家というこれまた芸術家と技術者の両面を持つ男たちに対して公然と嫉妬の心情を吐露するのは何とも風情があることでしみじみと感じ入る。なお、このアジ演説のようなシャウトのようなナレーションは、演奏と同時録音なのだそうで臨場感がたまらない。なお、演奏のほうは横田年昭ら一流ミュージシャンによるフリージャズ的なものだが、自分には高尚過ぎてよくわからなかった。

村岡実

バンブー

CD キング KICS2535

天才グルーヴ尺八村岡実の待望の単独CD。尺八で奏でる洋楽と一部オリジナル曲で構成されているアルバム。ここでもグルーヴィーさが爆発しているが、どうだろう、この人としてはそこまで尖りまくったサウンドではない。彼の作品としては、このレベルでも、平均的といったところなのではなかろうか。この人は物凄い名盤・名演が山ほどあるからどんどんと復刻されて欲しい。人生で初めて演奏者というものに興味が向いたのはこの人の尺八で、歌手のバッキングに過ぎなかったトラックというものが一個の生命をもって自分に語りだした端緒であった。そうは言っても「テイク・ファイブ」であるとか「朝日のあたる家」とか「サン・ホセへの道」といったように自分の好きな曲が多く収録されているので愉しく聞けた。

どうでもいいがライナーを書いている人の「和の心」観とか演歌観というものが自分の捕らえているところと全く異なると思われるせいか、下でも触れるが違和感と軽薄さを感じてしまい眉間にしわがよってしまう。

横田年昭とビート・ジェネレーション

フルート・アドベンチュアー 太陽はまだ暑く燃えていた・・・

CD キング KICS2536

元リオアルマのフルート奏者によるアフロジャズのアルバムの復刻。前半(A面)は横田作の人類の悲劇的な終焉を描いたと思われる表題の組曲、後半(B面)は「黒いオルフェ」などのカバー曲という構成。水谷公生らの参加でもわかるとおりニューロックの臭いがかなり強く、またビート的な要素もかなり強いためジャズ初心者の自分にも聞きやすい。

音楽の内容については特に何かあるということではないのだけれども、自分が神経質なだけなのか、ライナーに「歌手麻里圭子(プティ・マミ)とともに」とあるのが非常に気に入らない。
 これが「プティ・マミとしても知られる歌手麻里圭子とともに」とか「歌手麻里圭子(プティ・マミとしても有名)とともに」とかなら許せる。
 プティ・マミなどという名前は、僅かに一枚の企画物アルバムに使った変名なのであって、しかも、代表するに値するものがその一枚だけというのならともかく、曲がりなりにも「麻里圭子」として何曲もヒットを叩き込んだ人なのだからまるでプティ・マミが麻里圭子の全てであるかのようなイコールの代用のような無造作で無配慮なカッコ書きの表記は全くもってライナーの著者の麻里圭子に対する認識を疑いたくなる。けだし、偉大なるラテンバンドで「歌わせてやっておった」一女性歌手程度の認識か。正直に言えばプティ・マミとしての楽曲は「ガール・フレンド」を除けば、麻里圭子としての「裸足のままで」「月影のランデヴー」「サインはV」「恋のヴェンダ」といった諸作品に優るものはない。(もっとも麻里圭子としての曲の中にも完成度が高くない作品もないことはない。)別にプティ・マミの存在があろうがなかろうが自分の中での麻里圭子という歌手の存在感は変らない。それよりもこの大歌手は30年にわたって我々を大嘘にはめて楽しませてくれたのだ。そっちの方が大概において大きく扱われてしかるべきであらんや。
 もちろん、麻里圭子が知られる大きな要因としてプティ・マミがあることは事実であるので、これに触れないのもまた不親切であろう。なれば「プティ・マミとしても知られる歌手麻里圭子とともに」という表現こそが妥当かと考えられる。
 まあ、字数の関係とかがあるので結局ああなったのかも知れないので何ともいわず。
 喩えは変かもしれないがサバンナの高橋をよく知る人がその芸を犬井ヒロシとしての芸だけが全てのように言われるのは変だと思うでしょというようなことである。
 ついでに筆を滑らせるがこのライナーの著者の日本ポピュラー音楽史に対する見方にはどうも突っかかるものがあって胸にすとんと落ちてこない。なんとなくその原因は見えるが、まだ眉を潜める程度で恨みの感情にまで高ぶっておらぬので、そういう状態になったらまとめる。

山本邦山

琴、尺八、ビッグバンドによるスタンダード・ボッサ

CD キング KICS2537

タイトルの通り。スタンダードといっても元ネタからしてボッサのものの他「サニー」や「パリのめぐりあい」要は60年代の洋楽ヒットから広く題材が取られている。もちろん名人(のちに所謂人間国宝となる)の山本邦山の尺八がとるリードの峻厳さこそこのアルバムのツボなのだが、それを脇から支える、これまた名人の、琴の沢井忠夫のドリブルで相手を抜いていくような弾き回しと、速射砲のようなパワー溢れる演奏で琴と尺八を煽るニューハードの三者の対決と融和が凄まじい迫力を生み出している。

マーサ三宅

夜明けのスキャット あなたと夜とスキャット

CD ブリッジ BRIDGE084

ジャズボーカルの第一人者がスキャットでヒット歌謡をカバー。スキャットと意気込んで聞くと肩透かしを食らうかもしれない。メロディーをそのままリューリュー言っている部分がかなり多く、例えば伊集加代子のような激しくテクニカルで打てば響くようなスキャットとはまるで違う。スキャットとハミングの中間点のような作品か。またヒット歌謡のカバーということで全般にじめっとした曲ばかりだが、とってつけたように間奏だけジャズのアドリブになったりする。これは唐突としか言いようがない。パープル・シャドウズの「土曜日の午後」がカバーされているのは珍しいが、この手のものの選曲ってのは、競馬みたいに、レコードマンスリーの発売予定を見ながら多分これが来るだろうとかといい加減に決めているのだろうか。解説にはちょっとGSの色があるようなことも書かれているが、全くない。

倍賞美津子

恋の芽ばえ 夜のムードをうたう

CD ブリッジ BRIDGE085

クラウンは演歌に比べ歌謡曲の扱いが無茶苦茶軽いけれども外の会社の力を借りてとは言いながら色々と出るようになってきたのはいいことだ。

もともと松竹歌劇団の出身ということもあって歌い方にも安定感があり抜き差し自在なので安心して聞ける。役者としてはこなす役柄が広い人だと思うが、ここでは小編成ジャズをバックにしてややむずかしめの曲を上手くこなしており、歌手としてもやろうと思えば何でも出来たのだろうと思われる。

内容はしっとりとしたラテン系ムード歌謡とジャズの直系の曲でしめられており、どちらかといえば後者のほうが出来がよい。緑川アコほど不幸を背中に抱え込んでいないけれども、訳ありで夜の仕事をしているというような立位置と世界観があるのだろう。バックも平岡精二が自らバックを受け持ったり、「クラウンオーケストラ」名義ながらなかなか鋭い音を聞かせるチューンがあったりと利き所十分。ほかにエディ稲垣のバンドもバックをつけているがこれも名人芸。表題曲ほか森一が作曲した二曲はかすかな異常愛の臭いがあり、なるほどカルトの名が相応しい。流石にこれで大ヒットと言うのは難しいにしても、姉よりもボーカルの底が深いので、選択肢によっては大歌手として名が残せたかも知れない。

緑川アコ

カスバの女 緑川アコ・夜のムードをうたう

CD ブリッジ BRIDGE091

LPを持っているが、CDで出たので買い替え。本人によるナレーションで曲間を繋いでいくベスト盤だが、全曲一部をはしょって短くしてある。名盤中の名盤なのでとにかく買うべし。

それはともかく、解説が酷い。「夢は夜開く」がヒットした昭和41年のヒット曲として挙げられている中に浅田美代子「赤い風船」が入っているが、これは単純ミスでは済まされない重大な誤りであり、歌謡曲というジャンルの流れも、緑川アコという存在の世の中に対する立位置も全く何も判らずに書いたと自白しているようなもので、このように情けない文ならライナーとして付けない方がよっぽどましにさえ思える。更にJoJo広重をJoJo三重と誤記しており、これも単なる誤植とも思えないので、要するに歌謡曲が営々と積み上げてきたものをちっとも重大に捉えていないのだろう。折角の大名盤に水を差す形になっておって真に残念。こんないい加減な仕事でも原稿料をたんまりと貰ったのだろうなと思うと腹が立って仕方がない。

(平成20年9月22日追記。mixiでここで「浅田美代子」とあるのは「加藤登紀子」との勘違いによる誤記ではないかとの指摘あり。なるほど、もしそうならここまで悪し様に罵ることもない。校正者のミスとも考えられるし一概に悪いと言いきれなくなるが、それでも万全という訳ではない。だが書きすぎたと反省している。)

緑川アコに関してはここで打ち止めになって欲しくなく、ちゃんとシングル音源を使った全曲集を出して欲しいのだが、こんな形で味噌をつけられるとは悲嘆に暮れることこの上ない。

藤本二三吉

祇園小唄

CD ビクター VICL60330

戦前に大活躍した和風歌謡の先駆者の代表曲を集めたベスト盤。経歴を見ると表題曲は別として他の歌手のレコードのB面に配されて、A面で歌われた曲を軽く(あくまで軽く)和風にしてカバーし、A面の曲を凌ぐヒットにするというパターンが多く、偉大なるB面アーティストと言えるだろう。そういうことで、他の歌手の歌った歌を和風にしたものが多いが、代表曲の表題曲のほか社会ものの「緊縮小唄」、「トコ張さん」といった時代背景がないと理解しがたそうな曲や「丸ノ内音頭」(「東京音頭」の元唄。)なども収録されており、江戸っ子、新内などでイメージされる彼女のパブリックイメージよりも大分に広いレパートリーは、市丸ほどではないにしても、意外に思える。戦前には藤原義江、三浦環と並び賞された声量の豊かさを偲ぶ。

三井比佐子

ワンダフル天使

CD ヴィヴィッド VSCD3744

色々な意味で伝説になっているパンジーの一角、三井比佐子のオリジナルアルバムの復刻。筒美京平作品が多いが、最も出来がいいのはキッス風のロック歌謡「曲がり角ならご用心!」か。この曲はさびが中尾ミエの「恋のシャロック」に似ている。それにしても自分は古ければ何でもいいというような考えがあるわけではないが、この人に限らずこの時代のアイドルにはこういう破綻したボーカルにも関らず、昨今のネオ歌謡といわれる歌手たちの譜面に正確な歌唱よりも隔絶して歌ごころというものを感じてしまう。これは上の方にあるレジェンダリースターダストカウボーイにしてもそうなのだが、一体今歌謡をやろうとしている人たちに自分が不足していると感じておるものは何だろうか。

V.A.

オキナワ・スウィート・ガール・グループス(ベスト・オブ・マルタカ・レコーディングス)

CD ポニーキャニオン MYCD35025

沖縄の名レーベル・マルタカに残されたガールグループ(といっても民謡色の強いもの)の音源を集めたオムニバスコンピ。民謡系とはいえ演奏には三線などの伝統的な楽器のほかにギターやパーカッションなどが導入されているが、これは後述する伊波貞子フォーシスターズをもって嚆矢とするといい、この流れを汲むグループが集められている。よく考えたらひめゆり娘ってのはパンクな名前だ。

18曲中10曲を占める伊波貞子フォーシスターズは、これは詳しくライナーに紹介されているので服装とか編成とかの特徴や由来は譲るが、メインボーカルの伊波貞子の無駄に強力な突出したボーカルが戦前のクラシックの教育を受けていたような歌手に通じる所があり、このグループの強烈な印象の源と成っている。これもライナーに詳しい。

名演の多い屋良ファミリーズも「赤田首里殿内」の一曲だけだが収められており、例の油気の多いような強烈なサウンドを聞かせる。エレキギターの親父さんまで含めた全員の写真は初めてみた。

どうでもいいが沖縄の曲をあえて歌謡曲とかJPOPとか本土の民謡とかと区別するのはそれはそれで問題があるような気がする。

ザ・ボウディーズ

アイ・ベグ・ユー

マキシ シーズ SEZ3004

彼らは今関東で唯一全ての点において己を満足させてくれる若手のバンド也。演奏・歌唱がちゃんと技術的にしっかりしているうえに、心もよく伝わってくる。関東のこの手のバンドはただ技術がしっかりしているだけで情緒が皆無であったり歌謡曲とか音楽とかを舐め腐っておるバンドが非常に多いけれども、まさに掃き溜めに鶴のような素晴らしい演奏・歌唱であって、初めてライヴを見たときに心地よく血がすっと引いていく感覚に襲われて大変に嬉しかった。ブレイクのポイントなどで全く演奏にぶれがなく、抜くべきときに抜き、入れるときに入れる力の加減が絶品たることこの上ない。彼らの素晴らしいところは更にステージ運びもテンポよく今の時代にあったエンタテインメントとなっておる上に、彼らのやっておる音楽の全盛期の頃のステージの様子が伺え実にロックの有職故実に適っておってまさに理想的なステージングになっておることである。彼らは、まだ20代の前半であって若さがよく爆発しておるのに、いろいろと極まっておって、先輩後輩と言わず他のバンドから隔絶したものがある。ルックスも宜しく整っているのも一層素晴らしい。かような訳でこのバンドが売れてくれないと困る。普通にオリコンヒットなども狙えると思っておるので、変にアングラな人脈などが食らいついて淵に沈むことがない様に切に願う。関東唯一の希望の灯の大発展を祈願するものである。

ここでも60年代のイギリスのバンドだと言われても信じてしまうような素晴らしい完成度を誇っており、コーラスの情が深く、かつ「センド・ミー・バック」では鮮やかなブレイクも一糸の乱れもなくきめており、技量も儀容も整った素晴らしい演奏。全曲英語であるので、日本で商売するには色々と考えなければならないのかもしれないが、今の彼らの立場としては何も文句をつけるところがない。非常に理に適った一枚である。解説が星加ルミ子でびびった。お勧めする。

 

前の月 次の月 最新

 

inserted by FC2 system