これ買いました平成20年3月

 

20.3.30 ほぼ元気です。

ザ・フォーク・クルセダーズ

ザ・フォーク・クルセダーズのすべて

2LP 東芝 CTP60043〜4

フォークル解散後にアルバム「ハレンチ」の全音源(「イムジン河」を除く。)を含め出されたベストアルバムだが、一部これでしか聞けないライヴ音源がある。フォークルのライヴ音源は解散コンサートを除けば他のフォークグループのライヴものと比べて明るさに溢れていることに特徴がある。これであと一曲で全部手に入ることになる(別にレコードというものにはこだわらない主義。)。

 

20.3.16 半分ぐらい元気です。

ザ・トラッシュメン

チューブ・シティ! ザ・ベスト・オブ・ザ・トラッシュメン

CD サンデイズド SC11011

微妙に「サーフィン・バード」と選曲が違うので購入。初めて聞いた七曲は既に聞いていた曲群からかけ離れた楽曲はなく、米大衆音楽史にトラッシュメン・キングスメン期としてその名を冠された強烈な個性が発揮されている。流石に「サーフィン・バード」ほどぶっ飛んだ曲はないが、彼らが一曲だけのフェイクでない高い実力の持ち主だったことがよくわかる。彼らのどたどたした独特のリズム感と荒削りなボーカル/コーラスは自分のロック観の根底をなしている。

ザ・トラッシュメン

ティーン・トロット

CD ヴィヴィッド VSCD5415

昭和40年の未発表ライヴ。内容は当時のトラッシュメンの淡々としたいかにもパーティーバンド然としたライヴ運びが伺える貴重なもので、グルーヴィーとかそういうものではないがスタジオ録音とさほど変らないテンションとテクニックで普段のライヴを行なっていたことが伺える。ただ日本語版解説が酷い。トラッシュメンについて何の知識もないまま貶め、ただ字数を埋めましたという程度の文章でしかない。いくらなんでももっとものの道理がわかっているライターはいると思うのだが、一体どういう了見でこのライナーでOKが出たのか全く以って不可解。

ジャニーズ・ジュニア・スペシャル

ゴールデン・ベスト

CD ソニー MHCL1275

「ベルサイユのバラ」で知られるジャニーズの名グループの初ベスト。曲のスタッフを閲するにGSの時代の尻尾と言えるか。僅か三年間で走り抜けた彼らのシングルでの動向がわかる。彼らは流麗なコーラスではないが、青いいかにも美少年が優しくかつ必死に声を合わせる様は野に咲く小輪の白い花の如き趣がある。こういうものを聞くと自分はとにかく合唱しているものが好きなのだろうということが自覚されるのである。ヒットした「ベルサイユのばら」やハルヲフォンにカバーされ今も名の薫る「ラストショー」もあるが、明らかにコミックソングなのにも関わらず激しいハードロックなアレンジで淡々と事を進める「命令―しなさい―ママ」の妙な雰囲気がとりわけ印象に残る。ベイシティローラーズ(そういえばどちらもアルファベットで略されるグループだ。)関連の楽曲が幾つかあるのも時代を偲べるが、一方でビートルズもBSRも出てきた当時は似たような捉え方であったのであろうというこという事がその後を含めて色々と思いやられる。アイドルグループのイメージの極北を突き詰めたところがあるので、今に残る遺風がこのグループから発していることも多いだろう。カードの記述はやや簡潔に過ぎるか。

トニー谷

ジス・イズ・ミスター・トニー谷

CD ビクター VICL61712

テレビ普及前に燃え上がり消えて行ったトニー谷のベスト。大滝詠一がプロデュースしている定番の一枚。いつまでも留保しておくわけにいかないので購入。自分にはよくわからないが、比較対照として上がっているクレイジーキャッツの先駆をなすことは判るが、では例えば「チャンバラ・マンボ」がそれに匹敵する楽曲と言えるか、と言えばそこまで言って良いものなのか躊躇せざるを得ない。なんと言うか仕上げが雑に聞こえる。昭和20年代にこれだけのマシンガンのようなボーカルを見せているのは脱帽だが、残念ながら、バックがそれに応えておらない。ロカビリーでも多くの編曲をしている多忠修が編曲や作曲を手掛けているが、要求が高すぎたのだろうか。

 

20.3.15 神護。

V.A.

君の唇に色あせぬ言葉を

2CD ビクター VICL62668〜69

53年にリリースされた阿久悠作品集10枚組LPボックスから他の歌手のカバー作品だけを選び、さらに精選45曲に絞り込んだ珍盤。ピンクレディーが「どうにもとまらない」を歌っていたり佐良直美が「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌っていたりする。アレンジが当時のディスコ全盛期の風の影響を大きく受けていてこの辺り時代を偲べる。

以下気になった曲。三善英史の「とても不幸な朝が来た」のファンキーさは意外さがある。ピンクレディーが「勝手にしやがれ」をやっているが、これは実にイメージに合っている。同じ都倉作品を歌っていた山本リンダのカバーよりもぴったり。もともとフォーク風の地味なデュオとしてスタ誕を受けたという出自の事があるのか、表現に重層的な深みがある。逆に言えば彼女たちは現実的な歌が宛がわれていたらかなり重いものになったに違いない(実際キャリアの後半の曲には重いものが見られる。)ので、非現実な歌を平時宛がったプロデューサーや阿久悠の見込みのよさが感じられる。

飛びぬけた秀作と言われると困るが、岩崎宏美はやはり上手く、その他もビクターの手ごまの中でこの歌をこの人に歌わせようとした意図がそれぞれよくわかってなるほど面白い。案、カバーというのは詞と曲はそのまま(たまに改編されることもあるが)に編曲と演奏とボーカルを換えて新たに聴取者に提示することに他ならない。これも時代という制約からは逃れられないので、やはりあとから見れば遺風を偲ぶ金字塔のようなものに他ならぬと思う。

なかなかの好企画であったと言えようか。真っ当な企画か無茶な企画かと言われれば間違いなく無茶だとは思うが。

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