カレッジ・フォーク

Callege Pops

 GSが流行っている前後に主に大学生の間で流行っていたのがカレッジ・フォーク。PPMやジェーンバエズ、キングストントリオ等を範にした五六人の小編成フォークグループ。もっぱらアコースティックギターをウッドベースや手作りの打楽器をバックにして自作の曲を演奏していた。41年に一旦盛り上がったがすぐに下火になり、フォークルの登場ののち東芝が積極的にこの手のグループを次々送り出し、小ブームになった。が、あんまりメッセージ性がなかったので44年だけでブームは終わった感がある。のちのアングラフォークやニュー・ミュージックの系譜に繋がるが大きく違うのは主に私立大学生で良家の子女を中心にしたお坊ちゃん音楽であるということ。ここではいくつかのグループを紹介いたします。名前の前に三角があるのは時期とか編成とかの関係で管理人が「・・・やっぱりカレッジフォークじゃないよな」と思っているバンドです・・・。

 カレッジ・フォークに関しては東芝ファミリークラブから「カレッジポップス・クロニクル」という6枚組BOXが通販のみで発売されていますので、こちらもチェックしてみてください。


アイビー・トゥワインズ
 湯沢裕子/高世のり子/国東美智子。当時田中千代学園(湯沢)、明治学院大(高世)、YWCA(国東)に所属していた女の子三人組で編成されたグループ。(大谷さまありがとうございました。)諸文献で立教のグループとされているのは、初ステージが立教大館山キャンパス(広告研究会キャンプ・ストアー)であったことから起こった誤解であるという。レナウンのCMに出て迫力のあるハーモニーを聞かせた。一旦解散したが、レコードを吹き込むために再結成した。典型的なカレッジフォークといってよい、透明感のある、うだつの上がらない、よく言えば憂いに満ちた「いつか見た青い空」という歌と高世作の「想い出の世界」(これも透明感のある歌である。)のカップリングでレコードをリリースした。レコードは残念ながら一枚だけで終わってしまったが、ガールグループの音源はそれだけで貴重。もっともレコードを出したグループとなると少ないが、レコードを出すまで行かなかったこの手の楽器を弾きながら歌を唄う興行的でない女の子のバンドはいっぱいいたらしい。

ジ・アジャックス
 中村雄二郎/松田賢一。キングのグループでアングラものの「気をつけなさいお嬢さん」のヒットがある。中村は元産経新聞社員、松田は立命大生。

ジ・アマリーズ
 陣山俊一/坪野隆/田口清。P.Fスローンの「孤独の世界」をカバーした早稲田のグループ。「猫」の母体グループのひとつ。字余りね。大事にされていたのかぞんざいな扱いだったのか判断しかねる。

ザ・ヴァニティー
石塚成孝/岡田恒夫/松田伸昭。シューベルツにいくおちゆうじがいたグループだが、レコードを出したのは再編成後。東芝とキングからシングルを出したCFは珍しい。

ウィローズ
星野誠/鈴木雅雄/伊坂和子/伊沢俊一。早稲田大学理工学部の三人に社会人の女性ボーカルがくっついたCF。42?年の初めに結成され、その年のうちにテイチクから二条冬詩夫/落合和徳/山倉たかし作品の「また逢えるその日のために」でデビューした。テイチクのCFは霧の中にとざされているなぁ・・・。

ヴェーグラント・クワルテット
 鈴木謙吾/勅使河原博/谷本征夫/小林啓二。ヴィレッジ・シンガースらと同時デビューした、カレッジ・フォークの最古参グループ。39年に結成され、41年にコロムビアのフォークコンテストで優勝した実力派(この時の三位だかが吉田拓郎)。期待されたがブームに乗り切れなかった。「風が吹いてたら」。

ザ・ウェイファーリング・ストレンジャーズ
 近藤俊策/萩生田和弘/堀口孝一/生江隆之(昭和44年9月現在でのメンバーは近藤、堀口のほか土方邦人/加藤恒明)。桐朋学園高校のOBが集まって作った大学バラバラのバンド。正統的なブルーグラスあがりのフォークグループで、物足りない「チャペルの鐘の音」等を残したが、一発「チェ・ゲバラ」というとんでもないレコードを残してカルトバンドになってしまった。名前が長い。実はいまでもちょこちょこ活動しているとのこと。(メンバー・近藤様から指摘がありましたので、学校名を訂正しました。)

ウッディー・ウー
 佐竹俊郎/岡山勇吉/星野彬。アリスの「今はもう誰も」のオリジナル歌手。立命館と同志社の連合軍。生ギターだけで唄われる「今はもう誰も」は荒削りでかっこいい。ボーカルがサングラスをかけているのがハイカラだ。その後70年代になってから東芝へ移籍。水谷公生のギターをバックに自作曲をリリースしたりした。バンド名はウッディ・ガスリー+若者の叫び声(ウー)だそうだ。

エトセトラ
 鈴木民生/鈴木時男/斉藤和博/佐久間博子/豊原純二。東芝の学習院のグループ。わずか一枚「六月の空」をのこしたのみ。

エ・ビガニーズ
 早稲田のリガニーズの弟バンド。リガニーズのメンバー卒業に伴いその名を襲名するはずだったが、時代は動いていた。結局「何がある何処にある」をリガニーズの「明日では遅すぎる」の裏面に残しただけで終わった。そのせいでメンバーが誰だったかわからないという。

エマノンズ
 大野達夫/糸原実/清水修/山田俊夫/水谷洋一。乙女チックな「小さな恋の物語」でデビューした早稲田のグループ。バンド名はノー・ネームを逆に綴ったところから。ジャケットが気持ち悪い。(サイケとかってんではない。)川端康成作詞の「生きてゐるのに」もある。

△オッコ&ミミ
 野呂ひとみ/小島みどり。キングの女の子フォーク・デュオ。別になんということもないがブルータッシュとともに最初期の京都レコードのタレントであった。

親分&子分ズ
 入月清文/赤井正/天野近。早稲田のトニーズのヒット曲「海はふるさと」で44年にキングからデビューしたバンド。彼らは有名な「遠山の金さん」の主題歌を歌って多少名前が知れた。しかし本来はコミック・ソングを得意としていたグループである。

ザ・カッペーズ
 笹島斌/川手国靖/大山徹/大阿久芳樹/林伸彦。コミカルな印象の強いポリドールのCFで「さよなら二つのお星様」でデビュー。GSのタイガースからルビーズ経由でまわってきた「夜霧のガイコツ今晩は」を出したりもしたが、ガイコツのプリントをした全身タイツという異常なコスチュームの方が印象深い。関西民謡とかやってるが関東の連中。昭和38年結成の古株。のちに「グリーン・フィールズ」というグループに発展した。

△キザーズ
 大内篤実/辻井建明/高橋秀夫/横田滋/石川マイク。メッセージ・フォーク全盛の45年に破壊力抜群の擬似サンプリング・アングラフォーク「オケラの唄」を歌ったが波風ひとつ立てられなかった不幸な5人組。

キャッスル&ゲイツ
 町田義人/上地健一/田村守。ズーニーヴーの母体となったグループで「バイタリス・フォーク・ビレッジ」最大の成功者。典型的なカレッジ・フォーク「おはなし」をヒットさせた。が、このシングルはすでに解散してしまったあとにリリースされたものだった。このジャケットにズーニーヴーに行った二人の入った写真が使われていたため一部で混乱が起きた。このバンドは名前だけは47年ごろまで受け継がれ編成が定まらないまま各社からレコードをリリースし続けた。

ザ・クェッションズ
 須山美昭/永井良樹/岩佐剛道/西村誠。名前の通り、なぞに包まれたグループ。クラウンからのりのいい「ママロボット」一枚を残し忽然と消えた。ムードコーラス(ボーイズ)の同名バンドとは別。

グリーン・フィールズ
 笹島斌/大阿久芳樹/吉田浩二/川手国靖。カッぺーズがメンバー再編をして誕生したグループ。44年9月に阿久悠作詞の「イムジン河のほとりで」でデノンからデビューした。どうでもいいがイムジン河をうろついてたら撃たれるって。もと歌そっくりだし。解説ひどいこと書いてあるし。

グループ”麦”
 ブルーグラス系。46年に「大忠臣蔵」をリリースしているが、実に昭和元禄時代の残り香が。この辺の年代のバンドは基本的にはCFじゃないな。演奏はかなりうまい。

サウンド・オブ・コケコッコー
 北島滋子/岡島佐江子/大久保都美子。京女短大のグループ。愛らしい「ジローの初恋」を残したがどうもこのグループはCFとは違う気がする。

ジャッケルズ
 馬場弘文/山本博史/石岡達男。立命館のCF。これも別に・・・だな。

ザ・シャデラックス
 山中敏/時枝康郎/猪原真作/森山哲至。最古参グループのひとつでもともとはコーラスグループ。昭和38年に関西学院大学グリークラブのメンバーによって結成された。演奏歌唱共にカレッジフォークの中で最も優れたグループであり、いずみたくに師事して初期から末期までカレッジフォークを支え続けた。とにかく達者なグループであることから、つぶしが効き、コロムビアで竹脇無我の「バンジョー野郎」や有田祐二の「スキーかついで」のバックを勤めたりもしたほか、41年には右翼的なフォーク「君についていこう」や「星と話そう」のヒットを飛ばし「シャデラックスの奴さん」のような企画ものも発表した。その後ソニーに移籍し「希望」をヒットさせたほかプロテスト色の強いコンセプトアルバムを発表するなど怪気炎を吐いた。大怪作「みんなでつくろう」や岡林信康とは同名異曲の「友よ」など佳曲が多い。48年解散。現在は歌謡教室の教師などをしておられるようである。俺が一番好きな人達。

ジャングラーズ
 上田博/渡辺隆/大野博。一橋大の三人組。今なら黄金パターンのテレビドラマの挿入歌のリリースなんてなことをしたが、その曲がスカだった。そのどうにもうだつのあがらない「どうして声がとどかない」のB面「愛し合う二人には」は五木寛之作詞作品。一応ヒットしたらしい。

△シューベルツ
 フォークル系はCFじゃないと思うので略。

ジュリアンズ
 デノンから「雨あがり」を出しているが詳細不知。パニックメンのフロント部隊が発展したものとも聴く。

ザ・シュリークス
 神部和夫/山田嗣人/所太郎。最後期にはイルカが在籍していたグループで、「さらば」のヒットを持つ。「知床旅情」などやや日本的な世界を構築していたが僕はそんなには思い入れはない。所謂フォークの系譜の原点的なバンド。

ジュン・ジュン
 中島伸幸/広沢俊雄/八田啓/滝英二。京都のフォークサークルから立ち上がった四人組。これも別に・・・。

ジローズ
 杉田二郎/塩見大治郎/細原徹次郎。杉田二郎率いる関西CFのトップグループ。43年に「あなただけを」をリリース、一旦シューベルツに吸収されるがその後再興され「戦争を知らない子供たち」の大ヒットをとばした。他にも「子供たちに聴かせる歌」なんてのもある。この時代ならではの直題なメッセージソングを連発していた。塩見は「それ行けカープ」や「闘士ゴーディアン」で有名。

ソルティー・シュガー
 山本コータロー/池田謙吉/手塚通夫/高橋隆 /佐藤敏夫。「走れコータロー」をヒットさせたブルーグラス上りの正統派コミックフォークグループ。デビュー曲「ああ大学生」が「可愛いスーちゃん」の替え歌だったことに戦後は終わらずの感あり。バンド名はメンバーに「さとうとしお」という人がいたから。なお、「走れコータロー」の作者でもある池田はこの大ヒットを目の当たりにすることなくお亡くなりになっている。(この記事の初出当初佐藤氏がお亡くなりになったとしていたのは当方の事実誤認でした。私も50’sさまご指摘ありがとうございました。)

京子と大学生
 なんだこのバンド名は。テイチクから「カレッジハレハレ」とかいう曲を出しているらしいがよく知らない。

タイムセラーズ
 中根隆/小坂俊幸/三島通文/武藤重遠。これぞカレッジフォークという感じの「今日も夢みる」や「明日の夜明け」を唄った慶応大学のCF。リガニーズに対抗したが抗しきれるものではなかった。最初は女性ボーカルの万里村れいが入っていたが、この人はフォア・ダイムズのボーカルだった人。一応このジャンルを代表するバンドのひとつ。

△タフィーズ
 広川あけみが在籍していた女の子デュオ。(情報提供・タフィーズさん)レコードデビューはしていない。

ダボーズ
 岩崎隆一郎/佐々木繁二/福井和郎/芝川又美/松本俊行。関学のグループで深夜放送から人気に火が付き、キングから今だったらタイトルだけで放送禁止の「びっこのもぐらの物語」でデビューした。しかし最もヒットしたのは桂三枝のバックを勤めた荒んだマカロニウエスタン調フォーク「夕陽のアンジェロ」である。ほかに超問題作「丹波ささ山」など。(いいのかね実際の地名をつけてこんな歌うたって)

ティア・ビームス
 塙隆夫/井沢秀一/平野謙三/今吉隆之/小島秀雄。適度なビート感を持った名曲「何故か涙が」をうたっていたCF。リーダーの井沢秀一がルート・ファイヴの「俺は天下の色男」を作ったのが有名。しかし本当に流行っていたのか。「ケメ子の歌」の前に。残した音源は「何故か涙が」一曲だけだが、これが名曲中の名曲。

△ティンカーズ
清水芙美子/橘寛美。「はだしの少年」でデビューした東芝の女の子デュオ。

ドゥーディー・ランブラーズ
 藤原洪太/端田のりひこ/田平義昭。はしだのりひこがフォークルの前に在籍していた同志社のCF。「真っ赤なリボン(とおさげ髪)」を42年7月にクラウンから出した3人組。

トライポッド
 早川義夫作品「海と女の子」(のちファントム・ギフトがカバー)をリリースしたこと以外語られない女の子三人組。楽器を弾きながら歌を唄う興行的でない女の子の集団は革命的だと思うのだが・・・。

△ロビー和田とニュー・フォークス
 500人のコーラス部隊を要する史上最強のモンドグループ。41年11月に「シャウト」をCBSから出したりヴィレッジ・シンガースをバックに武道館でコンサートをしたりしたが短命に終わった。このライヴ盤の「ヘイ・エイ」は名演。MRAに積極的に出ていた。ロビー和田は60年代のキーパーソンの一人。

ニュー・ブルー・ストリングス
谷康一/村上功治/山崎綱三。名前のとおりウエスタン系。初期のバンドらしく右翼っぽい曲。フロッギーズの弟バンドらしい。同名のビクターなどで活躍したビッグバンドとは別バンド。

ノイズ・ハミング
 人見秀樹/田中孝行/杉浦潔/宮崎功。「青い世界」でデビューした典型的CF。一年に一枚ずつシングルを出したが、デビュー曲のB面、「大きな声で歌ってごらん」は破壊力抜群。

△ザ・パイオニアーズ
 二人組なので心情的にはCFに入れたくないが誰も何もいわないので敢えて入れてみた。後にヤング101などで活躍した黒沢氏が在籍していた。「太陽の道」はブルコメ調のビート歌謡の大傑作。数枚のシングルがある。

パードリックス
 キングから「朝のこころ」をリリースしているがよく知らない。

ハッピー・ゴー・ラッキー
村田俊正/山科憲司/村山正志/木村京子。成城大のバンド。かなり後期に出てきたグループで音の近代っぷりの割に楽曲の発想自体は初期のグループに近い。(追記・元メンバー・山科さまのご指摘により山科さま、村山氏の名前を訂正しました。ありがとうございました。)

パニックメン
 坂口康通/都倉俊一/瀬野嘉一/橋本信二/小川洋平/高橋正孝。都倉俊一がいたCFで、のちの都倉俊一のサウンドと全く結びつかないフォークサウンドの持ち主。「野バラの小径」一発のみ。ステージでは都倉の作った曲をやっていた。

ザ・ハングリィ・ボーイズ
 
後藤芳世/あい原信寿。クラウンのグループで二枚のシングルを残した。後期は四人組になった。小唄調のアングラソング「勉強セー」がCD化されたが歌の内容と反比例するようなかっこ良いジャケだ(本人たちは冴えないが)。その後ボブ・ディランのカバー「くよくよするなよ」もCD化された。

△阪大ニグロ
テクニックはクラシックをベースに、フェニックス・シンガーズを念頭に置いた初期のグループ。あちらの曲のカバーが多かった。関西フォークフェスティバルの花形バンド。「関西フォークの歴史」というCDで二曲聞ける。

ザ・ピース
木内捷郎/白土博三/秋山宏光/新改寛文。遅れてきたアングラグループ。アナーキーなコミックソング「平和の唄」を残している。実はB面はリードボーカルを除けばグッドソフトロック。

PPMフォロワーズ
小室等/山岩爽子/小林雄二。小室等のいたCF。名前の通りPPMを目標にしてそのスタイルを踏襲していた。解散後に人気が高くなり数年後(44年頃)レコードがリリースされている。ある意味日本のフォークの最重要グループ。「山に煙が」などを残している。

△ピオニーズ
田熊由美/北崎美知子。女性デュオ。どっちかというとコーラスグループに近いが。「パッパパパラ」や「サニー坊や」などソフトロックファンに受けがいい。

ファニー・カムパニー
 南条芳子/南条京子/横井康和。京都の料亭の姉妹に同志社大学の学生が加わった三人組のグループ。編成こそ珍しいが、曲は取り立ててどうということもない普通の曲。実は後に「西のファニカン、東のキャロル」と称せられることになるファニー・カンパニーの前身バンド。

フォア・ダイムス
 山本峯生/村上和子/岡村一/内田信夫。山場のない沈鬱な曲「夕陽が沈む」を42年に出した男女混合の慶応大学の坊ちゃんグループ。何故か歌詞カードと実際の歌が異なる。やたらに年食って見える4人組。パープル・シャドウズの岡村右の実兄在籍。

フォーク・キャンパーズ
 アングラフォークとカレッジ・フォークをつなぐ掛け橋。カレッジ・フォーク・ファンには放送禁止曲「誰かがどこかで」を出したグループとして知られるが、一般的には岡林信康の「友よ」のバックとしてのほうが有名か。だが彼らには名指し真っ向批判ソング「プレイボーイ・プレイガール」という爆弾も持っている。メンバーが固定されていないアマチュアシンガーの集まりだったらしい。

ザ・フォーク・クルセダーズ
加藤和彦/北山修/はしだのりひこ。京都では早くから有名だった4人組であったが解散記念に自主制作のアルバム「ハレンチ」を制作、プロモート中に収録曲「帰ってきたヨッパライ」、「イムジン河」が関西の深夜放送を中心に注目され、42年の末に東芝からメジャー盤がリリースされる運びとなった。グループも一年だけと言うことで活動が延長されたが、諸事情からメンバーは変更されおなじみの3人組になった。43年にはいると「帰ってきたヨッパライ」はオリコン一位200万枚の大ヒットを記録、第二弾に予定された「イムジン河」はお蔵入りしたものの代わりに出した「悲しくてやりきれない」が大ヒット。さらにザ・ズートルヴィーの名前で出した「水虫の歌」も話題を呼んだ。アルバムも「紀元二阡年」は日本のサージェントペッパーといわれるほど評価が高い。結局この年シングル7枚とアルバム4枚を残して解散した。2002年に何故か新結成。

△フォーク・チーズ
西岡功善/鍋島昌生/浜名康之/下湯北照幸。ワーナーから46年にもなってレコードデビューした高校3年生のグループ。典型的過ぎるスタイルではあったがあまりに遅きに失した。
 当時、MBSヤングタウン、ヤングOH、OHなどの流行に目をつけた、京都西京極のマイナーレーベル「ペップミュージック」(のちに「あのねのね」が、出て大儲けした)から「関西フォークのオムニバス版を作るから、来ないか?」と、言われたため、喜んでこれに参加。それをワーナーパイオニアが取り上げて、シングルカットし、アトランティックレーベルから発売になったとのこと。このレコードの発売記念コンサートは、東大阪文化会館大ホールで行われ、司会に彼らの同級生だった立原啓裕、ゲストとして、川島英五とホモサピエンス、片山知子、麦などが出演した。なお、このときのライブテープが関係者の手に残されている。
 このレコードでは、作詞作曲が両面とも浜名康之になっているが、B面「夢の中で」は、西岡功善の作詞作曲とのこと。
 フォークチーズは、71年11月に受験のため解散し鍋島が抜けたあと3人で「NAC」(ニュー・アコースティック・コーラズバンド)と、言う名前で再デビューし、「冒険者たち」「表参道」というヒットを飛ばした。
 関西フォークの牙城と目された京都の、しかも高校生の間にまでカレッジ・フォーク・スタイルのバンドが存在していたことに、当時のカレッジフォークの全盛ぶりが偲ばれる。

ザ・フォーシュリーク
 鈴木正司/太田博/神部和夫/安藤利雄。早稲田のカレッジフォークバンドでもとリガニーズの所太郎らが興したバンド。フォークルの「イムジン河」とはタイトル・歌詞・アレンジ・譜割違いの「リムジン河」を大阪ローオンから出してヒットさせた。ギターが三原綱木に似ている。のちにシュリークスに発展。

フォー・セインツ
 上原徹/宮川昌浩/ダニー石尾/荒木生徳/加賀一兄。のちに仮面ライダーストロンガーで有名になる荒木しげるがドラムで、「おはようスタジオ」で有名になる「志賀ちゃん」もいたカレッジフォーク最高峰グループ。異常にもの悲しい「小さな日記」の特大ヒットを持つ。さらに岸洋子やシャデラックスと競作になった「希望」もヒットさせた。極端にエレキ化したサウンドがファジーな印象を与える。東芝の設定としてはゴールデンカップスの弟バンドだったらしい。全然違うじゃん。カレッジ・フォークとしては唯一ジャズ喫茶に出演して話題になった。ダニー石尾氏は今でも現役活動中。

△ザ・ブラックバーズ
 石井薫/兼田章。寺内企画のフォークデュオ。曲のほうはエレキ色なし。石井はのちにブルージーンズへ。

ザ・フロッギーズ
 
小山光弘/土岐純夫/堀川学/井上登。あのジャックスをうち破り「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」で金賞を取ったことで知られる代表的なCF。「そこに山があった」はそれも納得できる迫力にみちた軍歌調の大傑作。歌の内容は「小さな日記」と同じなんだけど。誤解があるようだが彼らは男四人組。再結成中。なお、解散コンサートの様子が自主制作CDとしてリリースされているとのこと。

ザ・ブロード・サイド・フォー
 黒沢久雄/鶴岡俊彦/横田実/山口敏孝。前身はブロード・サイド・スリー。映画監督黒澤明の子息、黒沢久夫をボーカルとして41年に「若者たち」でデビュー。ほかに「星に祈りを」とアルバム1枚を残した。黒沢久夫の渡米とメンバーの大学卒業で解散し、GSのマイクスに吸収された。カレッジ・フォークの先駆的グループ。

△ザ・ポエッツ
 久松義雄/高野則義。なんとうたごえ運動上がりというとんでもないCF。高野が作った「野ばらをください」一発だけ。イギリスのバンドとは関係ないと思う。

△ポポ
 四方義朗/井上真/西垣文憲。おれはCFじゃないと思う。「昼顔」一発のみ。

マイケルズ
 沈鬱な反戦フォーク「坊や大きくならないで」の大ヒットを持つ三人組。この曲の静まりかえった荒み方にあったかもしれないもう一つのフォークの姿が見えていてかなり好き。別にメジャーでも反戦ものを出せてたという証左。

△ザ・マミローズ
 新井喜勝/実川俊晴/山崎満/李慶治。マイクスがGSだとしたらこいつもそうだが、そうじゃないとしたらそうじゃないファジーなバンド。ソフトロックのハロー・ハピーの前身。うちの課に同姓同名の人がいるがまさか本人じゃないよな・・・。唯一のシングルのB面「灰色の空」はカレッジフォーク特有の歯切れの悪さが心地いい暗めのポップス。

マヨネーズ
中島要次/板庭省吾/箕岡修。カレッジフォークとしては珍しくURCからレコードを出して社会派(=高石友也系のアングラフォーク)として気を吐いた。東芝からも出している。

ミューティーション・ファクトリー
平沼義男/芦田雅喜/松山猛。URCから「イムジン河」を出した人達。アマチュア時代のフォークルのメンバーのうちプロ活動をしなかったメンバーと「イムジン河」の原訳詩者松山が組んだ企画もののフォーク・グループ。平沼氏は京都でバイク屋をしておられる。

メイ・フォーク・シンガーズ
 岡田英次/滝喜久雄/今井慎一/小林義明/神田高至/関野和昭/渋谷正人/小田明博/玉手ふたば/若山千英子/柴田葉子。やたら人数のいる明治学院のバンド。残した曲はオリジナルでも固有の歌でもない単なるシングアウトのスタンダード。

モダン・フォーク・フェローズ
 
渕田隆大/稲生二平/斑目展代/新庄駿/景山民夫/松本敏夫。健全なカレッジフォーク界にあってやや退廃的な感じのあるグループ。といっても歌謡曲やGSに比べると全然健全だが。ややビート感のある「朝焼けの中に」(名曲!)や哀愁溢れる「さよならはいわないで」を残した。ベースが故景山民夫だったことでも有名。

△有限会社荒木組
荒木とよひさ/鈴木昭三/高山淳。この辺になってくるとカレッジフォークなのか何なのかよくわからん。荒木とよひさを中核としたグループ。

ザ・ライジング・サン・トリオ
 林益徳/北条茂正/市東正。日本のカレッジ・フォークの創世者ともいうべきキングのグループでブラザーズフォーに名付けられたという由緒正しいグループ。藤本卓也のライトな作品「戦場の星」「戦場の愛」や筒美京平の最初期の作品「海よ忘れて」などをリリースしたがすっかり忘れ去られてしまった。カレッジ・フォークでは2番目に好きなグループ。

ザ・ラグ・バッグス
詳細不明。

ラブ・アップル
増田兄弟を中心とした(?)メッセージ性の高い3人組み。「子供と風船」には浮遊感覚がある。

ランブリンバーミンズ
北条暁/荒川征昭/黒川光隆。最古参のフォークグループのひとつだがよく知らない。テイチクから「幼い日」を出したがテイチクとカレッジフォークが結びつかない。

ザ・リガニーズ
 新田和長/所太郎/吉田光夫/渡辺真木雄/内山修。ファンハウスの新田社長とレポーターの所太郎が在籍していた早稲田の学生グループ。セリフが気恥ずかしい「海は恋してる」の一発ヒットを持ち、カレッジフォークの代表的グループ。アルバムはCD化されたが現在事実上廃盤。以外にしぶとく70年代に入ってもレコードをリリースしていた。名前の由来はレッスンに行く途中水槽の中にいるザリガニを見かけたことから。本人たちはGSだと思っていたらしい。メンバーの一部はアマリーズのメンバーと合併。のち「地下鉄にのって」のヒットをたたき出す猫となった。

リトル・マギー
 沢田好宏/中川道彦/下村義彦/鹿山司。日本一しょうもない「女と男」という歌を残した京都の大学生と予備校生の混合グループ。(勉強しろ、勉強!)と思ったらプロフィール見たら大学の先輩だった。もう一枚シングルを残した。同名のニューロックバンドとかなり後期になって「ぬけがらの町」でデビューしたフォークバンドがあるけどまさか同じバンドじゃないですよね。沢田は今も親交のあったダーツと組んで京都で飲食店を経営しながらライヴをやっておられる。

ザ・レイン・ドロップス
河合博/藤井英一/原田紀美子。PPMオンリーのコピーバンドだったらしい。残した音源は「つめたい手のひら」一発だけ。

ロック・キャンディーズ
谷村新司/島津千津子/山本峰幸。谷村新司が在籍してした桃山学園大のCF。「あなたの世界」等をリリースした。PPMスタイル。


以下項目増やします。ご期待下さい。

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