寺内タケシの弟子バンド

G.S.Groups of “Terauchi family”

ジ・エドワーズ/ザ・フェニックス/テリーズ/ザ・クラックナッツ/フォーナイン・エース/ブルー・ジーンズ/寺内タケシとブルー・ジーンズ

The Edwards/The Phoenix/Terrys/The Crack Nuts/4.9.1(4.9.A,Four Nine Ace)/Blue Jeans/Takeshi Terauchi & his Blue Jeans


↑エドワーズ。このバンドのイメージはGSのパブリックイメージに近い。

ジ・エドワーズ・・・輿石秀之(G)酒井康男(D)榊原さとし(LG)麻紀タケシ(O)早川昇(B)
 「初期ビートルズに還ろう」を合言葉に、元バニーズの輿石秀之(大石吾郎)、元エクサイターズの麻紀タケシらが結成した英国調のビートバンド。当時としては奇抜極まりないワイヤレスギターを使って客席から現れて演奏するというパフォーマンスをしたりしていた。バニーズのメンバーがいた割りにはあまり寺内色はない。デビュー曲はギターがかっこいいキャッチ―な筒美京平作品「クライ・クライ・クライ」だったが、レコーディングの際ボーカルの輿石が風邪を引いていたため麻紀タケシが替わりに吹き込んだ。いいかげんだがいかにもGSなエピソード。しかし、結局デビュー曲は不発だった。なお、後年このバンドのメンバーが事務所の社長を務めていたとんねるずがこの曲をラジオで流して突っ込んでいたらしい。こうして、ライオンズと同じくエキスプレスに格下げされた。「恋の終わり」はろくでもない曲だが一箇所だけ唐突に入るファズが面白い。結局輿石のボーカルは「恋の終わり」でしか聴けない・・・。
43.2.1 キャピトルCP1018 クライ・クライ・クライ(林春生/筒美京平/同)/恋の日記(林春生/筒美京平/同)
43.6.10 エクスプレスEP1107 虹の砂浜(林春生/筒美京平/同)/恋の終わり(林春生/筒美京平/同)

ザ・フェニックス・・・藤野寿夫(SG)栗山正(LG)椿哲也(V)宮崎重夫(B)鈴木二郎(D)山田光治(O)/紫ひでみ(G=藤野の後任)
 日本ではじめてワウギターを導入したことで有名な、サウンドエフェクトに命をかける音楽変態ないかしたガレージバンド。特に後にルル―ズマーブルほかにカバーされた「恋するラララ」がすざまじい。この歌の名乗りの部分はバニーズの「ジングルベル」とまるっきり同じなのに誰も何にも言わないんで明記しておきます。ギターの栗山正は寺内タケシから脱走後のそのバニーズに加入した。ボーカルがヤンガーズと並んで軽薄。なんと前身バンドによるレコードがあった。(未認定GSにアップ!)残した曲は全部名曲。聞くべし。なお、スウィング・ウエストのリサイタルにゲスト出演した様子を聞くと「グッドバイ・ベイビー」がR&B志向の曲であることがよくわかる。(グッバイビーとしか聞こえないコーラスはそのままだが。)レコードリリース終了後紫が加入した。(情報提供・紫ひでみ様)
43.1.20 セブンシーズHIT722 恋するラ・ラ・ラ(鈴木二郎/栗山正/同)/涙のシルビア(ささきひろと/寺内タケシ/同)
43.5.10 セブンシーズHIT731 グッドバイ・ベイビー(鈴木二郎/栗山正/寺内タケシ)/悲しい片想い(ささきひろと/荻野達也/寺内タケシ)
カバース「恋するラララ」ルルーズ・マーブル

テリーズ・・・長瀬敏之(LG)川瀬卓也(SG)土屋かつみ(O,SAX)保積卓夫(B)岸本徹(D)中村オサム(V)
 バニーズの弟バンド/二軍として結成。名前は師匠の寺内タケシのニックネームから。鈴木義之がバニーズに加入するとメンバーを総とっかえされ、ユニオンからレコードデビューと相成った。その後キングレコードへ移籍したが、全期間を通じビートバンドスタイルにこだわり続けた。ルックスに似合わないアイドル路線の曲が多いが、曲そのものは出来がよい。師匠バニーズのカバー「ストップ・ダンス」はダンスキラーな爽快曲。「サンセット・リバー・サイド」は驚異の怒ガレージ。「恋する星空」の別バージョンや一部のカラオケがCD化されている。なお、ステージは「テリーのテーマ」からスタートしていた。
42.9.25 ユニオンUH1 想い出の星空(川瀬卓也/寺内タケシ/同)/ストップ・ダンス(ささきひろと/寺内タケシ/同)
43.2.15 ユニオンUH3 二人だけの恋(ささきひろと/荻野達也/寺内タケシ)/恋する星空(竹内伸光/寺内タケシ/同)
43.4.20 ロンドンTOP702 バラの想い出(ささきひろと/寺内タケシ/テリーズ)/ヨコハマ野郎(青野一栄/さわたりじゅん/テリーズ)
43.11.1 ロンドンTOP711 森かげの小道(倉方ひさし/寺内タケシ/同)/サンセットリバーサイド(ささきひろと/寺内タケシ/同)

クラック・ナッツ・・・ジェフェリー・デ・ヴィターボ(SG)ロバート・レイムンボ・テンシコ(D)エメスト・ヴィレガス(B)ジョーズ・ゾニテ・マングエラ(O)ローランド・メナ(V)
 寺内企画所属のフィリピンバンド。熱情的な演奏が身上だが、いかんせんデビューが遅すぎた。あと一年早かったら何らかの足跡を残すことが出来ただろう。バニーズの「悪魔のベイビー」をカバー。オリジナルの「イエス・ノー・イエス」は魂の叫び。コロムビア随一の熱情的ガレージ系演奏に痺れる。
44.8.25 デンオンCD33 悪魔のベイビー(ささきひろと/寺内タケシ)/イエス・ノー・イエス(ささきひろと/寺内タケシ)

491(49A/フォー・ナイン・エース)・・・滝イサオ(LG)司薫(G)瀬川ひろし(D)宮崎むつを(B)城アキラ(V) 沢健一(V)田村純(D)
 ルイ高橋・田川譲二のツインボーカルが滝イサオ・司薫兄弟の才能に結びついたバンドで、リバプール調を目指していたらしい。しかし、出てきたレコードはそれとはかけ離れているような・・・。宮城グランドパレスで修行したのち、日本情緒満点の「星空を君に」でデビューしたが、発売直前にボーカルが城アキラ(ジョー山中)に交代した。このバンドでのジョー山中はなぜかずっと不憫な使われ方をされていた。第二弾「星に告げよう」は筒美京平の極めて初期の作品だがメンバー作品よりこなれていない。その次のシングル「ウォーキン・ザ・バルコニー」でようやくヒットを飛ばした。しかし、続く日本初の自作国産R&Bとして「悲しみの果てに」をリリースしたが、全然売れなかった。最後はメンバー交代を経てビクターからバンド名の表記を変え再デビューしたが、ヒットにはいたらず壊滅した。シングル曲は情緒満点の佳曲が多い。二枚のアルバムはどちらもインストもので平均程度の出来だが、はっとする作品が1、2曲ある。特にセカンドは素材とあいまって稚拙と技巧が入り混じるモンドなアルバム。メンバーの滝は、このあとブルージーンズへ行き第二次ブルージーンズの中心メンバーとして活躍した。シングルは「星に告げよう」と「悲しみの果てに」以外はすべて大傑作。バニーズの小野肇も最初はこのバンドに所属していた。なお、「淋しいジェニー」のライヴ音源を聴くと、シングルの女性のスキャットパートを自前のコーラスで処理していたりして、このバンドの表現力の高さがよくわかる。他に楠トシエ「オリンピック・ア・ゴー・ゴー」のバッキングも勤めている。
42.1.20 セブンシーズHIT701 星空を君に(滝イサオ/司薫/491)/二人の泉(滝イサオ/司薫/491)
42.5.1 セブンシーズHIT708 星に告げよう(いけひでし/筒美京平/滝イサオ)/涙もかれて(滝イサオ/司薫/滝イサオ)
42.7.1 セブンシーズHIT710 ウォーキン・ザ・バルコニー(滝イサオ/司薫/滝イサオ)/傷だらけの叫び(境一美・水上達哉/司薫/滝イサオ)
43.3.10 セブンシーズHIT726 悲しみの果てに(司薫/同/滝イサオ)/ノー・ベイビー・ナウ(ささきひろと/司薫/滝イサオ)
44.6.5 ビクターVP18 淋しいジェニー(山上路夫/曽根幸明/高橋宏明)/アイシテ・アイシテ・オクレ(山上路夫/曽根幸明/同)
42.8.20 セブンシーズSET63 ヒット・ア・ゴー・ゴー(サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド/若い想い出/ミニミニロック/口笛天国/ドント・ユー・ケア/バラ・バラ 恋はちょっぴり/ハンキー・パンキー/バッド・ボーイ/ジミー・マック/007は二度死ぬ/ダンス天国)
42.12.10 キングSKK397 レッツ・ゴー童謡(森の小人/花嫁人形/通りゃんせ/しかられて/赤いくつ/青い目の人形 山寺のおしょうさん/中国地方の子守唄/七つの子/かわいい魚屋さん/くつがなる/すずめの学校)

ブルージーンズ・・・田川譲二(V)岡本和雄(LG)西村ヒロシ(O)朝倉功(B)和田いずみ(G)星竜二(D)
 寺内タケシ(バニーズへ)・加瀬邦彦(ワイルドワンズヘ)・石橋志郎(のちストーンズ)・鈴木文夫(のちレッド・ゾーン・オーケストラ)といったスタープレーヤーが次々脱退していったあとの第一次「寺内タケシとブルージーンズ」のなれの果てがGS化したもの。もと491の田川譲二をボーカル・リーダーにすえていた。ただひとりエレキ時代から生き残った岡本和雄のギターを中心に旧ブルージーンズ色を程よく残した演奏がいとおしい。中村八大からの曲提供などクラウンと破格の契約を結んだことで話題を呼んだが尻つぼみ、最後は場末のクラブで演奏するようになってしまった。新「寺内タケシとブルージーンズ」が結成されたときはまだバンドが存続していたが対抗できず自然消滅した。「星のデイト」はあと一歩でヒットしていたと思われる歌謡曲の佳曲。他にザ・キューピッツの「夜霧の別れ道」のバッキングを残している。
42.11.10 クラウンPW6 マミー(中井征/同)/愛して(中井征/中村八大)
43.5.1 クラウンPW25 星のデイト(万
里村ゆき子/万里村ゆき子/井上忠也)/ワン・モァ・プリーズ(岡本和雄/同/井上忠也)

寺内タケシとブルー・ジーンズ・・・寺内タケシ(LG)相田幹夫(G)石橋志郎(B)ジョー水木(D)ルイ高橋(V)

 バニーズに逃げられた寺内御大が再興した通称「第二次ブルージーンズ」。当初はルイ高橋・石橋志郎という自らの人脈の人間のほかもとヴァンドッグスのリードギター相田幹夫らを従え、歌・演奏の二本立てというバニーズ路線をなぞる形の活動をしていた。中でもジョー水木のドラムの上手さはそこら中で聞く。名盤多し。その後メンバー再編を繰り返し次第にエレキ路線に固執するようになり現在までその活動は続いている。GS時代以降でもシングル・ヒットこそないが「明日に行く汽車」「羅生門」「たそがれのエーゲ」「いとしのエリーナ」「禅譲」「望郷の歌」「だからナンなんだ」など名曲も多い。(「第二次」当初メンバーは石橋志郎とソウル・フォー(ストーンズ)へ。←ここ保留。)70年代に入ってから暫くは元GSメンバーを取り揃えひときわ演奏力が増強された、特に「レッツ・ゴー・ジャンジャン」はドガレージとして評判よろしく、現在もTHEE 50’s HIGHTEENSがカバーするほか、異常な発想の曲が多く聴くものを圧倒するが、当時の聴衆には途方もなかったものと思われヒット曲を出すには至らず、シャープファイブと共に固定客を相手にしたアルバムを出していくこととなり、次第に丸くなっていってしまった。ただたまに度肝を抜くようなアルバムが会って油断できない。
 なお、バニーズを含めた寺内タケシのディスコグラフィーについては、「モカバンドのエレキ共和国」というサイトのこちらにほぼ完全と思われるカタログがありますので、参照してください。(無断リンクなので問題があれば消します。)


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